ムラク島は、どう変わったか                           

早いもので、もう16年になる。モルディブに、青年海外協力隊の平成元年3次隊、野菜隊員として赴いたのは、1990年4月、29歳になったばかりのことだ。しばらくは、首都のマーレでモルディブの言語・ディベヒ語を学んだり、水産農業省のオフィスに通ったり、国内視察の旅に同行したりして過ごした。そして6月下旬、水農省の役人・アーダムと共に、マーレから南に100キロ、ドーニ(船)で9時間離れた、北緯3度に位置する、周囲4キロ・人口千人余りのムラク島に向かった。

 私の英語力は拙かったし、ディベヒ語は片言しか話せない。それでも、住民の中に溶け込む努力を続けて、段々とコミュニケーションが潤滑に取れるようになっていった。今考えてみると、それは「楽しい試練」だったように思う。子どもたちと共に遊んだり、女性たちにからかわれたり、お年寄りの言っていることが全く理解出来なかったり、皆と一緒に踊ったり、身振り手振りで説明したり、笑ってごまかしたり、ドーニで旅をしたり、カツオ漁に付いて行ったり、ロブスターを捕るために海に潜ったり、チェスをしたり、サッカーをしたり、野菜の苗を配ったり、野菜作りのアドバイスをしたり、そんな2年間を過ごした。2年間、様々な体験をし、考えていく中で、やはり私も成長したのだろう。自覚はしてないが、そう思っておくことにする。

 昨年秋、新婚旅行以来11年ぶりにムラクを訪れた。そして今回は5日間、学生や家族と共に滞在した。この2回の訪問で、色々な面で発展や変化を感じて、本当に驚いた。ここでは、その発展や変化について述べていくことにする。

    電気が24時間供給されている。・・・モルディブは2000ほどの島があり、うち199が有人島である。発電は、島ごとに行なわれている。以前は夕方5時から9時までの4時間、各家庭に豆電球程度の電力が供給されていた。しかも私のいた2年間のうち、1年半は発電機が壊れていて、石油ランプの生活だった。

     テレビが各家庭にある。衛星放送も受信出来る。・・・当時は島内に7軒ほど、テレビのある世帯があった。うち2軒は裕福で、高いアンテナを立ててマーレの電波を受信していた。他は、ビデオ上映用。ヒンディー映画などを流す映画館が2軒あった。今は各家庭にテレビが普及したので、映画館はない。レンタルビデオ・DVD店があった。

    アイロン、洗濯の電化。・・・以前アイロンは、ココナッツの固い殻を燃やして炭にして、その熱を使っていた。洗濯は、以前は手モミならぬ足モミであったが、今は2槽式洗濯機。

    水道が供給されている。・・・モルディブの島々は海抜が平均1.6メートルしかなく、3メートルほど地面を掘れば、井戸水が出てくる。以前は井戸水と、雨水タンクを備えている世帯では雨水を、生活全てに使っていた。今は、各家庭に水道がある。残念ながら、どういうふうに水道が張り巡らされているかは聞いていない。水道普及に伴って、シャワーのある家も多い。

     世帯にトイレがある。・・・以前は、100世帯ほどのうち10世帯ほどにトイレがあるだけであった。一般的に用を足すのは砂浜であった。「男浜」「女浜」があり、それぞれ波打ち際で用を足し、左手で海水をすくいお尻を洗っていた。排泄物は自然と海に帰っていった。それが今は各家庭にトイレがある。また、下水道整備が今後の課題であるようだ。

    携帯電話が普及している。・・・かつては固定電話が島に2回線あるだけであった。今は国内で2社が競合し、大人の男性の半分くらいが携帯を持っている。女性でも、割合は低いが、若い世代では持っている人もいる。

    核家族化になっている。・・・以前は、本当に狭い家に、大家族が住んでいた。親子兄弟、重なるように寝ていた。今は若い夫婦は新しい家を建てて、そこで住む傾向が強い。それでも家族の結びつきは以前と変わらず強いように感じた。ちなみに地代は無料である。

     出生率が下がってきている。・・・今の日本の出生率はたしか1.25だ。モルディブではかつては5.36だった。島の中、子どもが半分だった。今は3人ぐらいではないだろうか。

    英語を話せる人が増えた。・・・教育レベルは前に比べてかなり上がってきている。私がムラクで過ごした2年間のうち、初めの1年間は「外国人」は私一人だった。次の半年、インド人の英語の女先生が来た。しかし、あまり英語を話せない先生だった。次はスリランカの男の先生が来た。私は彼から英語を教わった。今も感謝している。さて、今は10人ぐらいインドから先生が来ているそうだ。生徒たちも、10年生くらいになると私よりはるかに上手い。モルディブ独自のカリキュラムやテキストがないから英語で教えているという実情もあるだろうが、少し悔しい。また、リゾートなど英語を話す職場で働く人が増えているせいもあるし、官公庁では英語が話せないと役に立たない。

 以上、思いつくままに書いてみた。人々の暮らしは便利になった。だが、それに伴って出費が増えているのも事実である。だからお金を稼ぐために働くのも大変なようで、南国だから「のんびり」としている訳ではない。しかし、どこの世界でも、お金はついて回るもの。それでも彼らは一生懸命、逞しく生きている。そのことを羨ましく思う。

 そして変わらないもの、それは人々の朗らかさと海や海岸の美しさである。私の第二の故郷とも言えるムラク島、これだけは永遠にそのままでいてほしい。