富山の山歩きの記憶 高校時代 その2
立山三山縦走 高校2年
1977年10月23日
秋晴れの日に、同級生の木舟と立山に行った。彼は山の素人であるが、全く問題なかった。雄山頂上からは富士山も見え、他の登山者から「こんなこと滅多にないだよ」と言われた。幸せな一日であった。

来拝山 高校2年
1977年11月13日

当時、「越中の百山」という本があり、これを読みあさって自分にも行けそうな山を探したものだ。11月、山岳部同期の関沢と、憧れの地であった芦峅寺の山に登ることにした。今は立山少年の家があるが、その頃は林道もなく、集落から歩きであった。踏み跡があったのか覚えていないが、無事頂上へ。下りは地図とコンパスの駆使の甲斐なく、方向を間違えて沢を下り、上市町の集落に着いてしまった。
医王山 高校2年
1977年12月27日

医王山 高校2年
1978年 2月10日〜11日

牛岳 高校3年
1978年 5月 1泊2日

この合宿で3年生は引退である。1年生には、男子1人と女子部員が3人入部した。3年は我々6人、2年は5人、顧問の先生は5人もいた。和気あいあいと、楽しい部であった。今は廃部となって久しいらしい。
牛岳STUDY強化合宿 高校3年
1978年 8月15日〜17日
高校3年の夏、受験勉強を一所懸命しなくてはいけない時期であった。でも下界は暑いし誘惑が多い。我々お気に入りの、牛岳避難小屋に篭って勉強しまくろうではないか。そんな計画を立てた。しおりを作り、山岳部の顧問の先生にも提出した。各自の都合で前後半に分かれ、私は前半組。小牧ダムから勉強道具一式・食糧一式・着替え一式・嗜好品一式を担いで避難小屋へ。囲炉裏を囲んで語らったり気分転換で頂上に行ったり。肝心の勉強は・・・あまり出来なかった記憶がある。

薬師岳から上高地を目指す
1979年 浪人時代

高校時代の山歩きの仲間と3人、夏の大縦走の計画を立てた。山は旅と同じで、あれこれプランを考えている時が楽しく、その行動中も楽しく、終わったあとに振り返っている時も楽しい。
だがこの時は、折立から黒部五郎・三俣蓮華・槍を越えて上高地まで行く、という計画を立てている時が一番楽しかった。初日、薬師峠に着く頃には私が発熱。悪寒でシュラフにくるまって震えていた。結局皆に迷惑をかけて、折立に下山となった。

富山の山歩きの記憶 高校時代 その1へ

富山の山歩きの記憶 2006年以前 トップへ