このページは、JICAのサイトをそのままコピー&ペーストしたものです。
|
<富山県立山> 富山の草刈り十字軍の考え方に共鳴 ロッジ経営10年、 山岳ガイドでも活躍のモルディブOB ゲレンデまで0分の「ロッジわがや」 かつて富山の魚津から立山を見たことがあるが、屹立しながら連なる山並に驚嘆したものだ。その山懐に抱えられる「あわすのスキー場」のゲレンデにあるのが「ロッジわがや」。写真でも、ほら、一家のすぐ背後にゲレンデが見えるでしょ?
すでに7000近い訪問者があり、さすが開業して10年の安定感がうかがい知れる。ここのオーナーは富山県の現OB会会長、モルディブで野菜隊員だった川尻(旧姓菅池)耕治さん(1/3)だ。 結婚で夫人姓になったから、ここのロッジは親譲りかと思ったが、ノー。隊員を終え、帰国したら農業で生きていこうと決意を固めていたことが、そもそもの始まりだったそうだ。 富山の草刈り十字軍との出会い
その決意は、今や知る人ぞ知る富山の草刈り十字軍の生みの親・足立原貫氏の著書、『土に根ざした20年』(桂書房)をモルディブで読んで固まったのだった。 1992年7月に帰国するや、ただちに足立原先生を訪ね、農業で生きていきたい旨相談したというのだから、先生も驚かれたのではないだろうか。まず稲作をやったらということで、修業先を紹介してもらった。足立原先生を巡る縁で、その後には香代子夫人とも出会ったというのだから、目標を定めたら果敢に行動すべしということだろう。 それはともかく、早速9月から稲作を開始。だが、その年の稲作シーズンはすぐに終わり、冬はどのように過ごそうかと考えていた。 そんな折り、父親から一本の電話が入った。「耕治、スキー宿をやってみないか?」と。父親の知人が、立山のふもとにあるスキー場でロッジを経営していた。引退したいと思った知人が、閉じるのは忍びなかったのだろう、賃貸料は格安にするからと、オーナーを探していたのだった。 川尻さんは一晩考えただけで、その話に乗った。「すぐに決心できたのは、帰国したてで、自分は何でもできるという思いがあったからかもしれません。勢いがありましたから」。川尻さん、31歳の決断だった。「協力隊帰り」という、鼻息の荒さがプラスに働いたのだろう。ちなみに、香代子夫人は、こうした彼の決断力に好感を持って伴侶と決めたとのこと。 今は、 立山初の自然学校設立を目指しています そのロッジ経営は思いのほか当たった。2シーズン目を終えたときには、父親の知人からロッジを買い取り、名前を今の「ロッジわがや」に変えた。これには「わがやのようにくつろげる宿でありたい」という思いが込められている。
「もうひとつ、自然学校を作ろうというのがあるんですよ」、と川尻さん。「名前はもう「立山自然学校」って決まっているんです。やることは、立山山麓を舞台にして、自然や人間とのかかわり合いを学ぶ環境教育。仲間と始めて、来年にはちゃんとしたものを立ち上げます」。立山を拠点に、川尻さんの行動範囲は広がるばかりのようだ。 あわすのスキー場は穴場中の穴場というから、混んだゲレンデにはうんざりという方、今度の冬、ぜひご予約を。 なお、草刈り十字軍に関心のある方、香代子夫人は事務局の重鎮であるので、ロッジのホームページにあるメールで、お問い合わせを。 |
|
|||
All Rights Reserved, Copyright (C) 1995 Japan International Cooperation Agency. |