モルディブの海の思い出

         

「コージ、ドーニの上で一泊して、カツオ漁してマーレに売りに行くんだけど、一緒に行かないか」
 その頃、またカツオ漁に行きたいと思っていたし、マスドーニ(漁船)の上で、つまり大海原の上で眠るなんて素晴らしいことだ。おれはマーレに上がる用事も必要も全くなかったのだが、二つ返事で同乗させてもらうことにした。

昼過ぎ、「ミーマス号」にてムラク島を出発。マーレまでは北に100km、10時間。その途上にて、撒き餌となるレヒ(小魚)を捕る。無人島に近い、水深20m位の所。おれは海に入り、海面をバチャバチャ叩いてレヒをおびき寄せ、網の上に集める役。網の上にレヒがたまると合図をする。ドーニ(船)上の男たちが急いで網を引き上げる。これを繰り返すと、ドーニの生けすにレヒが溜まっていった。そして、それを再び海面に広げた網の中に泳がし、逃げ出さないようしっかり結わえた。

この、カツオ漁の第一段階が終わる頃には夕暮れ時になっていた。空全体、海一面がオレンジ色に染まる中、皆と夕食の準備を進める。一仕事終えて、大自然の中で食べるマスリハ(魚カレー)はうまい。                    

「コージ、ジャパーヌガ ミワッタル バラーバル マンザル ティベータ?(日本にはこんな素晴らしい光景はあるか?)」「ネティ(ない)」「コージ、サーディコッファ ムラクガ フンナッチェ(結婚してムラクに住めよ)」「カーク(誰と?)」「エンメ ランガレ、エカマク ゲーゲ エッチェヒ ヌカーシェ(誰でもいいじゃん、だけど家の“ご馳走”だけはつまみ食いするなよ)」

こんな、いつもと同じ内容の会話も楽しい。缶ビールがなくても雰囲気に十分酔い、気分はすこぶるいい。星空を眺めながら、シートを被って潮風に吹かれながら眠った。

空が白んできた。さあ、今日はいよいよ勝負の日だ。 網の中で泳いでいるレヒを上げて生けすに入れ、エンジンをかけ、漁場を求めて出発。と同時に朝飯も作り始める。一斗缶に火を起こし、波に揺られながらロシ(具無し薄々お好み焼き)を焼く。リハークル(カツオを煮詰めたどろどろの液体)もこの頃には好きになっていた。

「エコラ!(あそこだ!)」魚群の目印の鳥山が遠くに見えるらしい。彼らの視力は双眼鏡並みだ。ドーニは海鳥の群れの中に突っ込む。おれは船尾で海面を棒でパチャパチャ叩く役。一番下っ端の仕事だ。レヒをばら撒く者もいる。船尾でドシ(竿)を4,5人が振る。次々とカツオがかかる。そのままエイヤッとドシを後ろに引くと、針にかえしが付いていないので、カツオは自然と離れて生けすに落ちていく。釣れ出すとおれの仕事は、的を外れて甲板に落ちたり、外れなかった針を抜いたりしてカツオを生けすに落とす作業になった。

釣れなくなると、別の漁場を探す。何回か群れに当たり、ドーニはカンドゥマス(カツオ)で一杯になった。今日は大漁。「500尾は超えたぞ」と皆満足そうだ。問題は今日のマーレでの相場だ。水揚げが多ければ当然値も下がってしまう。

重くなったドーニはマーレに向かう。いつもはバイスカル(自転車)で行くマスバザール(市場)に、この日はドーニでジェッティ(港)に横付けする。カツオの尻尾を両手の指に挟み、4尾づつバザールに運ぶ。ムーンドゥ(腰巻き)を捲いて漁師の帽子を被ったおれは、皆から冷やかされる。「ミハール、ケヨルドー (もう一人前の漁師だなー)」、「カレェ、エッバナ!(お前、最高だよ!)」、照れくさかった。

バザールに並べたカツオを今度は売らなくてはいけない。この日の相場はまずまずのようだ。売り子一人を残して2階のホッター(食堂)に行き、喧騒の中で仲間とマスリハと沢山のヘディカ(一品)を食べた。あれこれ漁を振り返っての会話も弾む。何だか、一人前の漁師に一歩近づくことが出来たような、楽しい二日間だった。

「コージ、ボッコラで今日の夕方ムラクを出て、明日の朝着でライマンドゥに行くんだけど、一緒にどうだ。」
下宿先の漁師、モハンマドに誘われた。ボッコラとは、エンジンの付いてない帆掛け舟。これで同じミーム環礁内とはいえ、マスドーニでも一時間かかる所まで行くとは小さな冒険だ。

風のない夕方、小さなボッコラに4人乗りこんで出発。帆はなかなか風をはらまないが、沖に出ると少しは進むようになった。やがて夕陽は水平線に沈み、星が瞬き出す。地球という球体の半分が星で埋め尽くされる。「南十字星」も確認出来る。体を伸ばして横になれない狭い船内、男4人、ワローマス(なまり節)やカーシ(ココナッツの乳成分)やテルリバンブケヨ(揚げパンの実)を食べながら、猥談で盛り上がる。喉が乾けばクルンバ(ココナッツ)を飲む。

ボッコラは星明りの中をゆっくりと進んでいく。ちっぽけなこの舟が、白い帆を張って、大きな海の中に漂っている。仲間がいなかったら、どんなに孤独なことだろう。

結局殆ど寝つけないうちに、空は白んできた。6時ごろ、日が昇るのと同時に、ライマンドゥに着いた。おなかが空いていた。もてなされたガルディア(カツオの塩煮汁ぶっかけご飯)がうまい。ここに半日いて、またボッコラでムラクに帰った。

海や魚にまつわる思い出は他にも沢山ある。その一つ一つが、日本では体験しようがないことばかりだ。ライマンドゥより遠い島にやはりボッコラで二人で行ったこと、下宿先の家族と無人島へピクニックに行ったこと、深夜マスドーニで沖に出て灯りの下でアジ釣りをしたこと、ムラクの回りを素潜りでロブスターやシャコガイやタコを捕まえたこと、マグロ漁に行き15kg級のを次々釣り上げたこと…。このマグロ漁は、ドシではなく直接糸を海に垂らして釣るので、おれも人の邪魔にならずに仕事が出来た。指に食い込む糸が痛かった。

今、時々海を見に行っても、あるのはごみだらけの砂浜、濁って透明でない海水、テトラポットで遮られた水平線だ。でも、海の大きさは同じだし、この海は遥か向こうでモルディブとつながっている。目を閉じると今でも鮮やかに、その情景や皆の顔が瞼に浮かぶ。それにしても、あの海と日々の何と遠くにいるものか。

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