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2002年9月号
OBの暮らし方探訪特集 3


<富山県立山>
富山の草刈り十字軍の考え方に共鳴
ロッジ経営10年、
山岳ガイドでも活躍のモルディブOB



ゲレンデまで0分の「ロッジわがや」

かつて富山の魚津から立山を見たことがあるが、屹立しながら連なる山並に驚嘆したものだ。その山懐に抱えられる「あわすのスキー場」のゲレンデにあるのが「ロッジわがや」。写真でも、ほら、一家のすぐ背後にゲレンデが見えるでしょ?
ロッジわがやと川尻さん
左から、料理担当で「おいしくてバランスのいい食事を心掛けてます」という香代子夫人。5歳の彩夏ちゃんと小学校1年生の長男優太君。そして川尻富山県OB会長。ロッジの前庭があわすのスキー場のゲレンデ。

「ロッジわがや」の全景。
「ロッジわがや」をインターネットで検索して訪問した。

すでに7000近い訪問者があり、さすが開業して10年の安定感がうかがい知れる。ここのオーナーは富山県の現OB会会長、モルディブで野菜隊員だった川尻(旧姓菅池)耕治さん(1/3)だ。

結婚で夫人姓になったから、ここのロッジは親譲りかと思ったが、ノー。隊員を終え、帰国したら農業で生きていこうと決意を固めていたことが、そもそもの始まりだったそうだ。


富山の草刈り十字軍との出会い
草刈り十字軍写真集
草刈り十字軍の写真集『きみ、青春の一夏山へ入って草を刈ろう』(桂書房)

その決意は、今や知る人ぞ知る富山の草刈り十字軍の生みの親・足立原貫氏の著書、『土に根ざした20年』(桂書房)をモルディブで読んで固まったのだった。

1992年7月に帰国するや、ただちに足立原先生を訪ね、農業で生きていきたい旨相談したというのだから、先生も驚かれたのではないだろうか。まず稲作をやったらということで、修業先を紹介してもらった。足立原先生を巡る縁で、その後には香代子夫人とも出会ったというのだから、目標を定めたら果敢に行動すべしということだろう。

それはともかく、早速9月から稲作を開始。だが、その年の稲作シーズンはすぐに終わり、冬はどのように過ごそうかと考えていた。

そんな折り、父親から一本の電話が入った。「耕治、スキー宿をやってみないか?」と。父親の知人が、立山のふもとにあるスキー場でロッジを経営していた。引退したいと思った知人が、閉じるのは忍びなかったのだろう、賃貸料は格安にするからと、オーナーを探していたのだった。

川尻さんは一晩考えただけで、その話に乗った。「すぐに決心できたのは、帰国したてで、自分は何でもできるという思いがあったからかもしれません。勢いがありましたから」。川尻さん、31歳の決断だった。「協力隊帰り」という、鼻息の荒さがプラスに働いたのだろう。ちなみに、香代子夫人は、こうした彼の決断力に好感を持って伴侶と決めたとのこと。


今は、 立山初の自然学校設立を目指しています

そのロッジ経営は思いのほか当たった。2シーズン目を終えたときには、父親の知人からロッジを買い取り、名前を今の「ロッジわがや」に変えた。これには「わがやのようにくつろげる宿でありたい」という思いが込められている。

山岳ガイドをする川尻さん(後列中央)。北アルプスの穂高岳で
川尻さんは、そもそも筋金入りの山男でもある。農業で生きるという思いの裏には、山登りの時間を確保したいというもくろみもあったはずだ。そして現在、この山好きが、貴重な現金収入をもたらしているということだった。というのも、川尻さんのもう一つの肩書きは「富山県自然解説員」。3年前からはネイチャーガイドもしている。昨年からは、本格的に山の案内をする山岳ガイドも始めた。

「もうひとつ、自然学校を作ろうというのがあるんですよ」、と川尻さん。「名前はもう「立山自然学校」って決まっているんです。やることは、立山山麓を舞台にして、自然や人間とのかかわり合いを学ぶ環境教育。仲間と始めて、来年にはちゃんとしたものを立ち上げます」。立山を拠点に、川尻さんの行動範囲は広がるばかりのようだ。

あわすのスキー場は穴場中の穴場というから、混んだゲレンデにはうんざりという方、今度の冬、ぜひご予約を。

なお、草刈り十字軍に関心のある方、香代子夫人は事務局の重鎮であるので、ロッジのホームページにあるメールで、お問い合わせを。

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